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食堂からおひさしぶりにこんにちはしております、おーやまです。
突然ですがニュージーランドの元議員、モーリス・ウィリアムソン氏をご存知でしょうか。
本日のカップルズリレイションシップの授業で同性婚についてのドキュメンタリーを観ました。
結婚ってなんなんだろう、とひたすら思う作品でした。
昔は、サバイバルとして(経済的な)相互補完というための契約としての結婚という位置付けだったのですが
それが変わって、愛がなければ結婚とは呼べないが当たり前になりました。
もしもこの「愛がなければ結婚ではない」という議論の仕方をするならば、「愛があれば結婚である」というのが成り立つ必要があります。
それを同性か異性かで分けて議論をするのはかなり論点がずれてくるように思えます。宗教的に同性婚を認めるべきではない、と主張する人も多いのですが、個人の宗教観によってそれは変わるものであり法律は万人を法律の下に置くものなのかな、と。
私も頭の中がかなりごちゃごちゃしているのですが、
私が個人として別に同性婚をしないというだけで、他の人が同性婚をすることに反対はできないです。
同性婚も男女の結婚と同様に法律整備がされるべきだと思うし、結婚したカップルと同じ権利が与えられて然り、だと思うのです。
と、ここでニュージーランドのウィリアムソン元議員の話に戻るのですが
彼は言いました。
「この法案でやろうとしていることは、ただ愛し合う2人に結婚という形でその愛を認めてあげることだ。それだけだ。」
と。
反対派の人たちにも同じ太陽が昇り、日常が壊されることはないんだ、と。
なんて素敵なんだ、と思いました。
そりゃそうですよ。
自分が嫌ならそれをしなければいい。変わらないんです。
ストレートの人たちはきっとずっとストレートだし、ゲイの人たちは安心して日常を過ごせるようになる。もっと簡単に家を買えたり、子供を育てたりすることができる。新しい家族をつくることができる。
家族が大事っていうんなら、家族の多様性からそろそろ目を背けずに対応していかなければならない時代に来たのではないでしょうか。
以上、びっくりするぐらい授業に来て眠気が襲ってきたので頑張って集中したいと思います。