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またまた食堂からこんにちは。
木曜日を終えて、やっと週も終わる、、、
とホッとしておりますおーやまです。
左にはストレートの紅茶、右にケータイ、正面にパソコン・・・とどこぞやのできる女風でおりますが実際はこのブログの更新をしている・・・という次第です。
もちろん、今学期の目標は言語化と行動化。言語化という時点で必要な作業をこのブログで行なっているのでね!一応意識高め!
本日も特に話すことがない・・・というのも、授業がものすごくつまらなかったからでした。
特に哲学・倫理?
で、全く授業が進まなかったというか正しい意見の述べ方!をから入ったからなのでしょうか。
アリストテレスの弁論術でも出してくれよ・・・と、少しだけかじった身からは思ったのですが、初心に戻り、控えめに学びたいと思います。
さて!今日の更新!どうしよう!
と考えていたのですが、思い出しました。
その前に、
今日は推しのスペイン人に日本から持ってきた誕生日プレゼントをあげたのですが・・・
反応がめっちゃ可愛かった。さすが推し。
その場にうちの学校にいる唯一の交換留学してる日本人の友人がいたのですが、「癒し系だね」と言われるほど奴はかーわーいいんです。
「すごいありがとう」ってめっちゃ言われ、いやぁ買ってきてよかったとほっこりしていました。
推しが尊い。愛しい。最近それしか思わなくなってきました。
と、推しへの愛を語ったところで、今日は愛と恋について話したいと思います。
最近こういう哲学ちっくというか自己啓発多めですが、お気になさらず。こういうことに限って考えてもすぐに忘れちゃうので、精神が落ち着いているときにこういう話をしたいというだけです。
自分の過去の恋愛について考えてみたところ、
ほとんどが「恋」だったように思うのです。
というのも、きっと誰もが小さい頃に経験している、「理屈抜きでその人が好き」だという一方的な気持ちがそれに値すると思うのです。
その人が好きだから嫉妬するし、他の女(男)の人の存在を許したくない・・・
あくまで性的対象として、その人を好きなんですね。
つまり、「恋」っていうのは家族や友人には当てはまらない(もちろん友達を「好き」になって、「付き合いたい」「独占したい」が出てくるとそれは「恋」なんですが)はずのものなんです。
そのあと、「愛」ってなんなのかなって思った時に、それは友達に対するものであったり、家族に対するものであったり、もっと意味が大きくなるのではないかな、と。
「愛」って、その人の全てを受け入れて、許して、幸せになってほしいと願うことなんじゃないでしょうか。
家族だったら嫌なところもひっくるめて一緒に暮らしている(していた)わけだし、そこに存在しているのは愛なのじゃないでしょうか。
友達には自分の精神的なパーソナルスペースに入れることを許しているので「愛」と言えるのではないでしょうか。もちろん、友達はまた特殊で、その関係性が深くなればなるほど「愛」に近づいていくのではないかなと。
そして、「好きな人」を分類した時に果たしてそれが「愛」なのか「恋」なのかを理解することって大事なんじゃないでしょうか!
今思うと、私が「愛」だなって呼べるのは過去に2回しか経験していなくて、あとは全部「恋」だったんです。「恋」はいつかなくなってしまうものだと私は認識していますが、「愛」はずっと残る(某バンドの曲みたいなことを言ってるんですが、すごく共感できます)、あるいは残りやすいものだと思うんです。
仮に愛が消えてしまっても、それは「愛」が過去のものになってしまっただけでその事実は残るというか・・・
うーん難しい。
何が言いたいかっていうと、
「恋」って諦めれるけど「愛」って悲しいんだよな。ってことです。
すごくクサイ持論を展開してしまったので、本日の更新はここら辺で。
明日は金曜日だから何かあるといいな!