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おはようございます。
本日学校二日目、課題読書の多さにすでに押しつぶされそうなおーやまです。
ところで、今日からこちらは天気が悪いんですね!
天気の悪さを見越して、学校が2時からお休みになるという知らせが入り今の今までだらだらとしていた訳です。休みって素晴らしい。
また、久しぶりに寮の隣部屋の友人のアリスと喋ってすごくほっこりしました。
というのも、今女子の友達がアリスしかいないからです。
別にスペイン勢があれという訳ではないのですが、やっぱり女子の話って女子としたいじゃないですか。
そうやって話してたんですけど、アリスに「なんか落ち着いて変わったね!」と言われました。
正直、めっちゃ嬉しかった。
普段からアリスには私の方が年上なのに年下のような扱いを受け、
暗に落ち着きがないと言われ、
まぁけなされていたのですが
瀬戸内寂聴さん効果でしょうか。
彼女みたいになりたいと(八割ネタで)言っていたら、いつの間にか落ち着いて自信がついてきたようです。
自信なんてクソほどもやっぱりないのですが、前みたいに「外見が全てだ」とか、自分のことがそこまで嫌いじゃなくなったんですね。
角が取れた、というのでしょうか。
今まで気にしてきたことが大して意味を持っていなかったというか、
本質はそこではなかったというか、どうでもいいことだったというか・・・。
思ってるよりもずっと気にしなくてよかったことというか。
私たちは周りの目を気にしすぎて生きているんです。
特に、私みたいに見た目に本当に自信がなくて卑屈になって、そんな自分が嫌いで嫌いでたまらない人間は、です。
そりゃ見た目を気にしないと、マナーの範囲でもあるので、人を不愉快な気持ちにさせるような清潔感のなさとかはダメなんですけど。
その余裕のなさって結局顔とかにもでてくるし、自分自身の粗探しばっかりでうまくいかないことを全部自分のせいにしちゃうんですね。
でも本当はそうじゃないんだって、最近気が付いてきたんです。
中三の時の好きな人が、それのきっかけになったんです。
彼が学校に戻りたいって言った時に、彼の幸せを、夢を絶対に応援したいと思ったんです。それが住む世界が違うことを深めようと、もう2度と交わることがなくなってしまうことを意味していても、彼が彼自身で決めた道を純粋に尊敬したんです。
そして、高三の時のあの魔法の4ヶ月間と彼のことを思い出したんです。
今はもう音信不通で、彼の現状を知る手立ては全くなくて、彼の娘の写真を見るしかできなかったんですが、いつの間にか時間が流れていて、自分はどこから成長しなかったんだろうと考えたんです。
人の幸せを望んでいるように見えて、結局は自分の見た目の粗探しをして、異性からモテることばかりを考えて、いかに浅はかだったんでしょうか。
そして、同級生と話した日本を出発する前日。
私にとっての「好き」って、向こうの人の1番の幸せを願うことで
「付き合う」は私の幸せの1番と向こうの幸せの1番が合致した時に初めて生まれるものなのかなと。
だから、私の中に付き合いたいっていう感情はでて来なくて然りなのかなぁと。
今学期とっている授業が社会学2つと恋愛学(ファミリーサイエンスっていう学術分野・家政学に入るのかな)、倫理(哲学)なので、またこんな投稿をしちゃうかもしれませんが考えたことを言語化するのも今期の目標なのでお付き合い頂けると幸いです。
読んでくださる人がいれば、少しでも一緒に考えて欲しいなって思うしもしいなければ自分で読んでもう一回深く考える所存です。
頑張れ自分。