12/31
今年も残るところ1時間をきり、2018年が終わり行こうとしております。
日本に一時帰国を決め込んだものはいいものの、なぜか扁桃炎にかかり5日間熱で死んでいたところ父親の実家に帰省できず、1人でお留守番が決定しSASUKEと紅白を1人で行ったりきたりしながら見ているおーやまです。
ここでこの一年を振り返ってみたいと思います。
思えば上半期。
一年生の後半は荒れ狂っていました。
バイトに明け暮れ、その金を化粧品や洋服・友達とのご飯に使い貯金もなく、またさらに今の自分だと卒倒しそうなこともやったりして、とにかく毎日の寂しさを人とのつながりで埋めていたような気がします。
しかし、3月の後半あたりでしょうか。
傍卵巣に腫瘍が見つかり、手術をしないといけなくなり実家に緊急帰還。
病院で「これはすぐにでも手術が必要だよ」と言われた時目の前が真っ暗になったことをおぼえています。そこから自分が生きることをちゃんと考えるようになったのかなぁ、とも思います。
5月に入ってやっと学校へも復帰し、1ヶ月遅れて大学2年生をスタートしたのですが気がついたらサークルで後輩ができていたり、留学の担当者からのメールが増えたり、2年生になったということが身につまされたのです。
そうして7月、早稲田の授業が全て終わり、サークルのイベントも終わり、実家に帰り身支度を整え8月。
14時間ぐらいのフライトをへて、アメリカに到着しました。
ここからが下半期ですね。
初めは毎週金曜日はパーティー!とばかりにやれ「フラットパーティー」だの、「クラブパーティー」だのに行っていました。
なんと虚しいことだったのか。
初めてできた友人との距離があいていたのもこの時期でした。
その友人がジムに誘ってくれ、なぜかバッキバキになりたいと思い、ジム通いがスタートしました。
心身ともに健康になり始めた瞬間でした。
また、その友人が週末に「遊ぼう!」と誘ってくれて行った一回のお出かけをきっかけに、彼女のグループにだだ浸りするようになりました。
ボーリングをしたり、ちょっとお出かけしてみたり、誕生日を祝ったり・・・
そうして、11月の暮れに行ったニューヨーク。
あれをきっかけに、アメリカで「家族」と呼べる心地いい居場所が固まったような気がします。
正直日本の、早稲田の仲間たちが大好きすぎてアメリカなんて期待してなかったんです。どうせ日本人も少ないし、ぼっちも覚悟していた。
彼ら・彼女たちがいたから、私の留学は素晴らしいものになったんです。
留学中彼ら彼女たちがいなかったら、
ルームメイトとは揉めるだろうし、ストレス溜まって多分アル中みたいな生活に戻っていただろうし、不健康を極めていただろうし、留学なんていやだとずっと言っていたに違いないです。
アメリカで学んだことは、アメリカだから学んだのではなく、人に支えられて環境の中で学んだものだと思うのです。
だからこそ私はこの出会いに一生分の運が詰まっているといっても過言ではないと思うし、この人たちのことが大好きです。
この一年を振り返って、どれだけ人に恵まれていたか。
感謝しかできないのです。
留学中に学んだことは何ですか、という質問がきたら間違いなく
「人との出会いからどう行動していくか」と今は答えるでしょう。
結局留学で変わったことは人との関わり方なんです。
日本人だったら痒いところに手が届く、そんな気もするのです。何となく空気の読み合いでわかることもあるし。
外国人相手だと、それがないんです。人によってはめちゃめちゃパーソナルスペースが近いし、ものすごい意見を求められることもある。なんだかんだ優柔不断な時に、自分が決断を下さないといけない時もある。すぐに感情的になったりする人もいる。
でも明日にはそんなことけろっと忘れてこっちがは?ってなることもある。
だから、人との関わり方を学んだんです。
その場でパッと対応しないといけない、読まないといけない。
それを認めてくれる仲間もいる。
「私がどうするか」で状況はどんどん変わるんです。
ここら辺で、来年の抱負をぶっ込むとするならば!!!!
健康に気をつけて、自分を大切に。
でしょうかね。
ちっちゃい目標としては、
英語でできるだけ悪い言葉を使わない、です。
来年もよろしくお願いいたします。