2/2

危なかった!!

 

うっかりと更新を忘れてしまうところでしたが、無事にこちらに戻ってきておりますおーやまです。

 

本日のBGMはミスチルです。

ミスチルを好きになったのも甘酸っぱい思い出のおかげというか、なんせ「抱きしめたい」から入り、受験ソングに「終わりなき旅」を聞き込み、今はもはやシャッフルでひたすら聞いてるというか・・・。

うん。ミスチルっていいよね。という結論です。

 

昨日からなんか考えさせられることが多くキャパオーバーしそうなんですが、息抜きがてらに3000字ぐらいで書いてみたんですよ。短編。

昔っから妄想とか空想の類が大好きだったんで、日本であったキラキラしい話を美化して、鬱にして、書いてみたんですよ!!!

推敲とか0だし、短編ってよりも詩に近いものが出来上がったのですが、なかなか出たしと最後が気に入ってる(しかも唯一書ききった)ので自分を褒めたいです。

 

それ以外?

 

ずっと勉強ですよ。

本読んで、重要語句まとめて、大体の課題部分の要点まとめて、5時間ぐらいでしょうか。脳みそが死滅しました。

なおそれだけやっても週の半分以上のものが終わってないという現実!一日何時間勉強すればいいのでしょうか!無理!こんな生活なんて無理よ!!!

 

テンションが割と壊れ気味なのはこの勉強中に摂取していたコーヒーのせいです。この語時間に3杯のコーヒー(ブラック、アイス、ミルク)を飲んで、お茶も飲んで、タバコも吸って()

いやぁバグが起きそうですね!

 

明日はアメフトの祭典のスーパーボールがあるので、ちょっと楽しみです。

別にアメフト好きでもないんですが、やっぱりお祭りじゃないですか。どっちが勝つんだろう、Patriots か  Ramsか!!!

個人的にはPatriotsに勝ってもらいたいですね!なんとなく!

 

本当に今日人と会話したりしなかったせいでふさぎこんでいるので、ここら辺にさせてください。

 

2/1

私が苦しんでいた課題をアリス(寮の台湾人の友人)にチャチャっと解かれて、若干凹んでるおーやまが本日は珍しく自室からお送りしております。

 

今日は降雪!!

雪が降って、さらに積雪!!

ツルッツル滑るのかなと思いきや、気温が低すぎて踏み固められた雪は割と歩きやすく滑ることもなく(一回するっと行った気がしなくもない)、無事生きておる次第です。

 

本当は来週から始まるバスケのためだったり

健康のためだったりに運動をそろそろしないとならないのですがなんて言っても寒い!!!天候には勝てないんです!

 

。。。という言い訳ですね。はい。。

 

ところで最近、私は困っているんです。

課題が終わらない、読めない、理解できない、忘れてしまう・・・です。

とにかく理不尽に読書量が多い今、どうにか要領よくこなしていかないといけないのですが、どうやっても無理!な気がしてるので、ここは先人に聞きたいと思い頼りにしました。レッツグーグル先生。

 

スキミング(流し読み)して、重要語句をあらかじめ調べて、序論と結論を読み込んであとは授業で補足!が定番パターンなんですねぇ。

 

いや、そんなんできたら今苦労してねぇ。

ぶっちゃけ、それはできる人というか(帰国子女だってできないことぐらい英語圏でもたくさんあるんだよと言いたい)、なんでしょう、勉強!!!!みたいなタイプの人ができる話なんじゃないでしょうか。

勉強は好きだけど、それが身にならないと全くやる気にならない面倒くさがりにとってはこの単純に読むっていう作業が本当に嫌いなんですね。

 

当面の課題として、どうやったらリーディングの量に負けずに時間短縮をすることができるのか、考えておきます。乞うご期待。

 

うーん、今日は他になんも喋ることないんですよね。

せっかくの金曜日なのに普通に寒いから外に出たくないし、課題読書やらなきゃでメンタルもあれだし。。。

 

ということで、サクッと諦めて更新をここまでにしたいと思います!

明日アリスとバドミントンとかできないかな〜とかもちょっと思いつつ、しっかり勉強して、あったまってゆったり過ごしたいです。

 

1/31

またまた食堂からこんにちは。

木曜日を終えて、やっと週も終わる、、、

とホッとしておりますおーやまです。

 

左にはストレートの紅茶、右にケータイ、正面にパソコン・・・とどこぞやのできる女風でおりますが実際はこのブログの更新をしている・・・という次第です。

もちろん、今学期の目標は言語化と行動化。言語化という時点で必要な作業をこのブログで行なっているのでね!一応意識高め!

 

本日も特に話すことがない・・・というのも、授業がものすごくつまらなかったからでした。

特に哲学・倫理?

で、全く授業が進まなかったというか正しい意見の述べ方!をから入ったからなのでしょうか。

アリストテレスの弁論術でも出してくれよ・・・と、少しだけかじった身からは思ったのですが、初心に戻り、控えめに学びたいと思います。

 

さて!今日の更新!どうしよう!

と考えていたのですが、思い出しました。

その前に、

今日は推しのスペイン人に日本から持ってきた誕生日プレゼントをあげたのですが・・・

 

反応がめっちゃ可愛かった。さすが推し。

その場にうちの学校にいる唯一の交換留学してる日本人の友人がいたのですが、「癒し系だね」と言われるほど奴はかーわーいいんです。

「すごいありがとう」ってめっちゃ言われ、いやぁ買ってきてよかったとほっこりしていました。

推しが尊い。愛しい。最近それしか思わなくなってきました。

 

と、推しへの愛を語ったところで、今日は愛と恋について話したいと思います。

最近こういう哲学ちっくというか自己啓発多めですが、お気になさらず。こういうことに限って考えてもすぐに忘れちゃうので、精神が落ち着いているときにこういう話をしたいというだけです。

 

自分の過去の恋愛について考えてみたところ、

ほとんどが「恋」だったように思うのです。

というのも、きっと誰もが小さい頃に経験している、「理屈抜きでその人が好き」だという一方的な気持ちがそれに値すると思うのです。

その人が好きだから嫉妬するし、他の女(男)の人の存在を許したくない・・・

あくまで性的対象として、その人を好きなんですね。

つまり、「恋」っていうのは家族や友人には当てはまらない(もちろん友達を「好き」になって、「付き合いたい」「独占したい」が出てくるとそれは「恋」なんですが)はずのものなんです。

 

そのあと、「愛」ってなんなのかなって思った時に、それは友達に対するものであったり、家族に対するものであったり、もっと意味が大きくなるのではないかな、と。

「愛」って、その人の全てを受け入れて、許して、幸せになってほしいと願うことなんじゃないでしょうか。

家族だったら嫌なところもひっくるめて一緒に暮らしている(していた)わけだし、そこに存在しているのは愛なのじゃないでしょうか。

友達には自分の精神的なパーソナルスペースに入れることを許しているので「愛」と言えるのではないでしょうか。もちろん、友達はまた特殊で、その関係性が深くなればなるほど「愛」に近づいていくのではないかなと。

 

そして、「好きな人」を分類した時に果たしてそれが「愛」なのか「恋」なのかを理解することって大事なんじゃないでしょうか!

今思うと、私が「愛」だなって呼べるのは過去に2回しか経験していなくて、あとは全部「恋」だったんです。「恋」はいつかなくなってしまうものだと私は認識していますが、「愛」はずっと残る(某バンドの曲みたいなことを言ってるんですが、すごく共感できます)、あるいは残りやすいものだと思うんです。

仮に愛が消えてしまっても、それは「愛」が過去のものになってしまっただけでその事実は残るというか・・・

 

うーん難しい。

 

何が言いたいかっていうと、

「恋」って諦めれるけど「愛」って悲しいんだよな。ってことです。

 

すごくクサイ持論を展開してしまったので、本日の更新はここら辺で。

明日は金曜日だから何かあるといいな!

 

 

 

1/30

もう1月も終わりそうな、氷点下の世界からこんばんは。

おーやまです。

 

本日は、特にお話する内容がありません!

授業に行き、「あ、この授業思ったよりつまらないかも」と思ったり

ちょっと過去のトラウマを思い出して

「あ、この授業ちょっと思い出すかも」と1人で辛くなったり、

メンタルがフルボッコされた日でした。

 

そのあとお昼に仲良しのゲイの友達(冬休みにカミングアウトされびっくりしたけど普通の仲良し)と2時間ぐらい喋って、向こうがよくしゃべるので聞き役に徹して、春休みの予定早く立てないとね〜といった話をしたぐらいでしょうか!

 

また、私のヘッドホンが急にアプデを始めたので、音楽もなく無音の部屋でカタカタとこのブログを更新している次第です。

 

話す内容も特に思いつかないので、前期と後期の違い(主に授業関連)を述べていきますね!

 

前期は学校に慣れることを優先させたので、100番台(いわゆる入門)の講義しかとっていませんでした。

アメリカならではですが、この番号が200~と上がっていくにつれて難易度が上がっていきます。

日本で換算すると、200番台が中級、300番台から上級、400や500は学位取得のための授業、もしくは修士向けの授業となっております。

300番台では、入門をとっていないと受けれないものもあり、この辺から専門を突き詰めていく感じになっているように思えます。

 

ちなみに今期、私はSociology(社会学)の200番台を2つ、Family Science(家政学)の200番台を1つ、Philosophy (哲学・倫理)の100番台を1つという4つのコースを選択しています。このコースは、それぞれ週150分3単位となっております。

日本だと1コマ90分2単位ぐらいじゃなかったでしょうか?

と、このように中級目白押し!で授業をとったところ

確かに内容はグッと楽しくなったんです。

 

が。

 

課される読書量が前の学期の比ではなく、ついていくのがやっとの状態です。

言語にハンデがある分、どうしてもスピードだったり理解が追いつかなかったりするので帰国子女でなかったらどうなっていたのやら・・・と頭を抱えております。

 

アメリカ留学を志すみなさま。

日本人が少ない大学のメリットは、留学生に容赦無くこんな感じで授業が現地の学生と同じレベルを求められるため死ぬ気で勉強するようになるということです。

イケメンと連絡先交換できる可能性もあります(実際Sociologyのクラスで唯一話しているのがたまたま最初に隣に座っていた明らかにゲイっぽいイケメン)。

デメリットは、シンプルに授業についていけないことです。というか課題が終わらない。読書がしんどい。英語なんて糞食らえ。となることです。

 

と、愚痴ばかりいってしまう更新となりましたが

こう見えても私も勉強に対するプライドが高い方なので、また本の続きを読むことにしたいと思います。

 

それではまた明日。

 

1/29

おはようございます。

 

本日学校二日目、課題読書の多さにすでに押しつぶされそうなおーやまです。

ところで、今日からこちらは天気が悪いんですね!

天気の悪さを見越して、学校が2時からお休みになるという知らせが入り今の今までだらだらとしていた訳です。休みって素晴らしい。

 

また、久しぶりに寮の隣部屋の友人のアリスと喋ってすごくほっこりしました。

というのも、今女子の友達がアリスしかいないからです。

別にスペイン勢があれという訳ではないのですが、やっぱり女子の話って女子としたいじゃないですか。

そうやって話してたんですけど、アリスに「なんか落ち着いて変わったね!」と言われました。

正直、めっちゃ嬉しかった。

普段からアリスには私の方が年上なのに年下のような扱いを受け、

暗に落ち着きがないと言われ、

まぁけなされていたのですが

瀬戸内寂聴さん効果でしょうか。

彼女みたいになりたいと(八割ネタで)言っていたら、いつの間にか落ち着いて自信がついてきたようです。

自信なんてクソほどもやっぱりないのですが、前みたいに「外見が全てだ」とか、自分のことがそこまで嫌いじゃなくなったんですね。

角が取れた、というのでしょうか。

今まで気にしてきたことが大して意味を持っていなかったというか、

本質はそこではなかったというか、どうでもいいことだったというか・・・。

思ってるよりもずっと気にしなくてよかったことというか。

 

私たちは周りの目を気にしすぎて生きているんです。

特に、私みたいに見た目に本当に自信がなくて卑屈になって、そんな自分が嫌いで嫌いでたまらない人間は、です。

そりゃ見た目を気にしないと、マナーの範囲でもあるので、人を不愉快な気持ちにさせるような清潔感のなさとかはダメなんですけど。

その余裕のなさって結局顔とかにもでてくるし、自分自身の粗探しばっかりでうまくいかないことを全部自分のせいにしちゃうんですね。

でも本当はそうじゃないんだって、最近気が付いてきたんです。

 

中三の時の好きな人が、それのきっかけになったんです。

彼が学校に戻りたいって言った時に、彼の幸せを、夢を絶対に応援したいと思ったんです。それが住む世界が違うことを深めようと、もう2度と交わることがなくなってしまうことを意味していても、彼が彼自身で決めた道を純粋に尊敬したんです。

 

そして、高三の時のあの魔法の4ヶ月間と彼のことを思い出したんです。

今はもう音信不通で、彼の現状を知る手立ては全くなくて、彼の娘の写真を見るしかできなかったんですが、いつの間にか時間が流れていて、自分はどこから成長しなかったんだろうと考えたんです。

人の幸せを望んでいるように見えて、結局は自分の見た目の粗探しをして、異性からモテることばかりを考えて、いかに浅はかだったんでしょうか。

 

そして、同級生と話した日本を出発する前日。

私にとっての「好き」って、向こうの人の1番の幸せを願うことで

「付き合う」は私の幸せの1番と向こうの幸せの1番が合致した時に初めて生まれるものなのかなと。

だから、私の中に付き合いたいっていう感情はでて来なくて然りなのかなぁと。

 

今学期とっている授業が社会学2つと恋愛学(ファミリーサイエンスっていう学術分野・家政学に入るのかな)、倫理(哲学)なので、またこんな投稿をしちゃうかもしれませんが考えたことを言語化するのも今期の目標なのでお付き合い頂けると幸いです。

読んでくださる人がいれば、少しでも一緒に考えて欲しいなって思うしもしいなければ自分で読んでもう一回深く考える所存です。

 

頑張れ自分。

 

 

1/28

学校初日を迎えました。

 

食堂からこんにちは、おーやまです。

本日もバカみたいに早い時間に目が覚め、勉強しようと思っていたのですがお腹が空いて(時差ボケで満腹中枢もバグがきてる)結局全然できなかった次第です。

 

授業前に何個か準備していきたかったのになぁと思いつつ、結局何もできてないあたりに自分の弱さがチラチラしております。

 

今期は、もうちょっと社会学に力を入れよう!と謎に思い

全部「人」について考えられるものにしました。

 

社会学では「家族」と「逸脱行為」についての授業、哲学で現代のモラル問題についての授業、もう1つは恋愛学(というか、カップルにおける関係性の授業)です。

最高に楽しそう!と思ってとったのですが、読み物が多くて英語のリーディング遅いこっちの身としては心労でしかありません。しかも今日あった2つのクラスで絶対に読んでこいよと脅されてる(当たり前)ので言葉にできない悲しさにくれています。

これをこなしつつ、ジムに行くことができるのでしょうか。いや、ジムに行く時間を作るために頑張っていきたいと思います。

 

とりあえず早く時差ボケを直したい所存ですね!

 

前も少しお話ししたと思うんですが、私の周りなぜかLGBT友人が多いんですね。

それに関して何があるって訳でもないんだけど、やっぱりなんで多いんかな〜って気になってるんです。

マイノリティとして扱われている彼らですが、話したら本当に普通の人たちな訳ですよ。むしろそうじゃない人たちより優しいし、繊細な訳です。

むしろオシャレだったり、清潔感で溢れてたり普通の小汚げな男子とか身だしなみに全く気を使ってない女子と比べてよっぽどかできた人々です。

彼らと話してるとほっこりしてきます。

っていう個人的な感想は置いときまして!

 

中学校の同窓会で久しぶりにあった当時好きだった人とまだ連絡してるんです。

それで、やっぱり彼が自分を変えたいと思う原動力になっているなと感じています。

あいつに友達だとかなり強調されて言われたので、友達って言わせないぐらい大人で綺麗で素敵な女性になりたいと思います。

これから4ヶ月間、見た目も心も成熟していきたいと思った学校初日でした。

 

これから半端ない読書量と戦ってきたいと思います。

 

 

1/27

学校前夜を粛々と教科書を見ながら過ごしております、おーやまです。

 

嘘です。

正直なところ、時差ボケが本当にひどくて朝一でポカホンタスを見たり、朝ごはん前にお腹が空いて持ってきた抹茶味のキットカットを食べたり、本当に酷いもんです。

 

本日考えたことはあんまりないのですが、やっぱり自分の所属している学生団体のうちの1つに無限の疑問が湧いてきた、というところでしょうか。

「こども病院のために基金を集めて寄付する」「子供が子供らしく入れる場所を、ダンスなどを通じて提供する」がモットーのはずなのに「子供のために」という社会的なメッセージよりもその中にいる人たちは「こどものためにお金を集めている自分たちすごい!」という自己満で動いているのか、わからなくなってきてるんです。

基本的に競争ベースの募金活動で、チームごと・個人ごとに集金できた金額を常に競い合っているんです。

やっていることはすごいことです。効率的ですし、こうやることでより大きな額のお金を集めることができることができます。

ですが、お金が最優先になっているような気がしてならないのです。

もちろん経済的な支援がないと、病気って治るものも治らないし素晴らしいことなんです。その集めたお金でどれだけの人が助かるのか、考えただけでもかなりの人数になるはずです。

 

私がジレンマだなと感じている点はいくつかあるのですが、ちょっと整理するために箇条書きにしていきます。

 

・社会的なメッセージ性が高いため、かなり評価される

・が、中で行なっていることはただの競争であり目的が「お金をどれだけ集めれることができるか」にすり替わっている

・ボランティアにも同じことが言えると思う→行なっていることは人の善意で成り立っているが、その資金を他人から徴収して社会を助けているというよりその人個人の繋がりで支援してもらっている

・ということは、個人の支援として(目標額達成など)のモチベーションはつくが本来の目的である「こどもたち」からは離れていっているような気にしかならない

 

こんな感じで、自分が前の学期に必死でやっていたことに疑問を抱き始めているのに突き進まなければならないのでしょうか。

非常に難しい。

 

もう1つの学生団体は、規模は小さいもののやっていることと目的が一致しておりそれが見えやすいので達成感もあります。

 

あ、こんな風に「組織の規模」も関係あるのかもしれませんね。

 

考えることはたっくさんありますが、明日から授業もあるし読書量が追いつかないので頑張って読んで残りのキャパで考えていきたいと思います。